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そういえば告知も何もしていなかった気がします(・▽・)+小説書いたよ。。。始めだけど [駄文日記]


サイドバーに小説用のPIYOブログパーツを公開しましたよ。
まだまだ拙い作品ではありますが、そちらの修正版を同FC2の小説サイトに清書して順次掲載していきたいと思います。
そのリンク等の掲載もしていきたいと思います。

まだまだサイトとしては発展途上なのですが、少しずつコンテンツを充実させる事が出来ればいいと考えております。
昼夜問わず更新可能な際には最新情報を伝えていければと思います。

勿論、小説の著作権などは『勇者カカキキ』私に御座いますので、内容などの無断転載などは禁止です。
法的な処罰が下っちゃうかも知れないし、そんな野暮をするほど出来た作品ではないですが、大人のお約束です。

面白い物を書きたい!!

それが私の願いです。
ミレイ・クロニクルを今後とも宜しくお願い致します。
時折、先日登録したRSSフィードの性なのか妙な記事が頻繁に混入する事が確認されています。
正直、ウザいので新しいRSSフィードも考えないといけないかなと検討中。

コメントなどはPIYOブログの方で随時受け付けているのでスパム以外なら大歓迎です。
全て自分への評価と甘んじて受け入れたいと思います。

プロの批評家を目指すなら、評価をする際は『良い点』『悪い点』を共に見出す事にあります。
批評家の意見は世の中では大して反映される物ではありませんが、事一般生活に置いて趣味の中では絶大な効果を生み出す物であります。
言葉の種一つで爆発的に成長する人間も居れば、そうでない人間も居ます。
私の場合は評価の良し悪しに関係なく、特に否定される事でより伸びる性格のようです。

勿論誉められれば嬉しいですけどね。笑

友人間では基本的に遠慮と今後の付き合いも考えて、大抵”正当”な判断は決して貰えません。
私は私のポリシーがあり、猛毒を吐けますがそこまで性根がアレな人は数える程でしょう。
今までに幸いだったのが才能に溢れる人間が多く傍に居た事。
これに触発されて頑張れてきた事は事実。
でも、それじゃ背中におんぶ見たいな感じで正直駄目だと思う。

本当の意味での一人立ちをするには、どうしたらいいのか・・・答えは出ていても中々実行に移せない事ってありますよね。
夢に破れて諦めた人間のなんと多い事か。
日本は自由でありながら、諦めた人間の数は世界でも類を見ないぐらい多いのではないだろうか?
それは普段の生活のぬるま湯の中で、本来磨がかれるべき牙を磨いてこれなかった事にあると思う。

挫折の数程人を逞しくはするが、本当に強くなっているのだろうか?
精神を疲弊させ消耗させ摩耗していく事で人は次第に諦めるのだろう。
グラップラー刃牙には、人が最強を諦めるに到るバックボーンの描いた文があった。
親父の拳の前で、最強を諦めたり、ガキ大将に負ける事で最強を諦めるといった内容だったか。
それは事実、私の人生の中にも幾重にも拳の代わりに身体精神の全てに痛打を持って挫折を煮え湯を飲ませてきましたよ。
まぁ、そんなこんなで皮肉屋な性格+妙なパワフリャな自分を手に入れた気がします(・▽・)+

とはいえ、諦めきれない物の一つや二つある。
私にとっては作品を作るという事だ。
小説はやはりライフスタイルの一つとして私の要素の一つでした。
何度も諦めて挫けて辿りついたのがコレだったんです。

作品を産み出すには、あらゆる経験が結構役立ったりします。
挫折経験ってなぁ自分で体験しないと、どれだけ苦しい物か分かりませんからね。
時に才能がある人間を妬み、「何で自分だけこんな・・・」なんて思う事も人によっては日常茶飯事です。

才能がある人間には賛辞を送り、自らの肥やしになる物がないか得る物がないかを貪欲に探るのが私ですが。妬む暇があれば自分を磨く事に利用すればいい。
赤の他人ほど優れた研磨剤は無いですよ。
駄文のまま小説化出来れば一番いいんだが──やはり駄文のままな気がします。
それでも一段階でもクオリティアップに繋げる事が出来れば儲け物。
言葉に触れて言葉を用い、言葉を操り、『千の言葉万の文章』を用いて作りあげられれば幸いです。私の造語ですが^^;


人を引き付けて止まない、『魔述士』と呼ばれたいなぁ。術ではなく、記述の述ですな。
この世界で魔術師は先天性の才と異世界生まれぐらいの設定が無けりゃ無理だろう。
魔力を操る為の重要な要素が現実サイドの我々には足り無すぎる上に、決定的なのは魔力を生み出す存在が欠落している可能性があるという事だ。
だがそこで落ち込む必要は無い。
底辺の世界に生まれた以上、足掻きに足掻いてきた我々は他の並行世界で置いても弱い存在ではないのだから。
底辺に居るからこそ高みを目指せる。
原初の高次元世界にだって手が届くのも同じ底辺の世界に置いても我々が先だろう。
ならば手に入れようではないか。生きて。──尚且つ若い内に。


といった、風な感じに言葉遊びと妄想を含めた作品を作るのが好きなんですね。
やはり、弱い生物が高みを目指していく王道タイプが好きですが、野心がありながら具体的ではなく抽象的な想いに馳せるキャラクターも嫌いではないんですね。
実在のモデルが居たりしますが、リアルではなく夢の中の世界だったりしますがね。だからキャラクター作りに困る事は無いんですよ。
ただ、どうにも夢の中のキャラクターは名前が無いんで、そこでどういった名前を付けるかが非常にいつも悩む。
最初から決まっている者もいれば、全くイメージの浮かばない奴もいるし、アニメとか漫画の影響で引っ張られてしまう事があるのも事実ある。
その中でオリジナリティとは何かを模索し続ける事にこそ意義を見出していきたい。
ゆえに誰にでも『小説』は書けます。
私小説ならばブログの内容からでも書籍化に到る程のデータは揃っています。
3~4年もブログを続けていれば、データは充分にあると言ってもいいでしょう。
とはいえ、一日の平均が100人アクセス程度無いから──といった言い訳も必要無いですからね。
ただ、メーカーが見て売れるか利益が取れるか~といったら無理な物が多いからブログ運営側で書籍化しませんか?
と促してくる訳だ。
自己出版はまさに自己満足の完結版といってもいい。最初はそういった形で書籍化して読者の反応を見るのも良いのかもしれない。

ただ、費用は物凄いかかるんですね。
一種の”投資”のレベルですから経済的弱者は切り捨てられます。
ならば、本気で小説家を目指すとしたら何をするか。
投稿ですね。
でも、その投稿に到るまでが心の葛藤が凄いんです。^^;
だから、ブログやホームページで公開して反応を見たいという欲求に駆られるんですね。私も同様でした。
でも、小説サイトだとよっぽど面白く無いと読者はなかなか食いついてくれないんですよね。
エキサイト側の小説サイトは若干2万アクセス程で停止中ですし。^^;
とはいえ、設定の殆どはアップロードしていないだけで基本結構揃っていたりするんです。

どうにも、設定が矛盾してしまわないようにする事ばかり考え過ぎてしまっている事が自分のブレーキになっている気はします。
現在のライトノベルの現状を鑑みるに、初期と末期で設定に矛盾点が生まれてきている事はハードユーザーならば気付いてしまいますよね?
でも、その矛盾すらも内包して面白いからこそ世に出る訳ですよ。まぁ、叩かれる原因にもなる訳ですが^^;
その中でも緻密で膨大な設定があったとされるのが今は著者が故人・・・本当惜しい人を亡くした。
スニーカー文庫『トリニティ・ブラッド』通称トリブラの吉田直だろう。
矛盾点も恐らくは伏線で、矛盾が矛盾足りえる隙もきっと与えない感じなんだろうなーと。
最早この人以外の誰が描いてもトリブラにはならない。なれないだろう。
それはコンピュータープログラマーの緻密さと同様。
あれは人が引き継ぎをしようとなると非常に大変なんですよ。
人によってプログラムの癖っていうのがありますからね。
その癖一つ一つ、どのプログラムコードがどの働きをして、何処からデータを引っ張り込んできているのか云々。を1日中パソコンと仕様書と睨めっこ──考えただけでゾっとする。
割とこういった作業が好きな私でも他人のプログラムを自分の物に置き換えるのは非常に辛い。^^;
コメントが一切なかったり、宣言した変数名が何故か萌えキャラだったり、よくそれで動いていたな~という強引な構造すらも担当した以上はビシバシっと直さないといけないんだそうな。笑
案外、ソフトの重さに関わる重要な部分は重大なミスがプログラム内に隠されている可能性は否めない訳です。

まぁ、動いたもん勝ちなシステムは未だに公然と使われていますし、世のビジネスの結果に関してはこちら側の裁量ですからね。
中身を解析出来た上で、内容を理解出来る人間などホンマもんのエンジニアぐらいだろうさ。
プログラムの良し悪しは問えないです。使い勝手の良し悪しは御座いますが(・▽・)+オノレコウメイ

設定・プロットの段階で試行錯誤して生まれ出たのが『フォーネリアス戦記』の外伝だったりしました。
でも、外伝と銘打って置きながら多分コチラがメインストーリーだったりします。
本家はオムニバス形式で主人公毎に一話完結型でしたから。

カル・ディアーズ達然り、ジェイル・マーシェル然り──どれもRPGで言えば高レベルキャラクターとチートキャラクターなんですよ。
弱いキャラクターは殆ど居ません。成長の過程はクロニクルという形でしか描けないので、今回が初の試みみたいな物です。
バックボーンが薄い、描写が薄いのが私の特徴らしく、どれも大事なのに軽視した訳でもないのに上手くいかない。^^;
話の中核当たりから物語を走らせる所はスラスラと出てくるのに、話の最初の段階がいつも描けないんですよ。

一応、結末と結果は全て決まっているのに、スタートダッシュを何処から掛けるか、スタートを何処にするかが何時も私の課題になっております。
例えば、ベッドから目覚めて天気もいいしさぁ冒険だ。見たいな作品も世に公開している人は居るでしょう。
寧ろ、それでスタートさえ出来れば何も言う事は無いです。
それはそれで最良のスタートなんでしょうね?

でも、それじゃ読者としての自分が納得してくれないんですよ。
ベッドから目覚めた時に、隣には何か転がっていたり、最初から誘拐されていたりとイベントが起きていないと満足できないんですね。
目が覚めるだけなら、生きてりゃ何度だって目が覚めるさ限界はあっても。──現実なら。
でも現実ではない何処かの話とするならば、目覚めた時には何かが変わる、変わる予兆のような物を感じさせないと読者として満足は出来ません。

ただ主人公が起きた→冒険→依頼達成→クリアのRPGでいう作業ゲーじゃないんだから、一工夫欲しい訳だ。
TRPGリプレイなる物を読んだ事はあるだろうか?
文字通りRPGの原点たるテーブルトークロールプレイングゲームです。これは現実の人間たちがキャラクターになりきりセリフを言ったり行動を考えたり、分岐点に差し掛かれば選択を迫られたりするゲームなんです。
趣味人としての人口は少ないですし、私も未プレイの身ですがそういったリプレイ本を見たりすると、必ずゲームマスターはイベントを起こし、キャラクター達である我々人間を飽きさせないゲーム要素を加えてくれているんですよね。

例:怪しいホテルに泊まるか? それともセキュリテイの整ったホテルに泊まるか?

勿論前者は路銀(お金)の消費も少なく、後者は消費が激しくなります。
HPといった概念もあれば回復力にも影響が出る事でしょう。
後者の場合は泥棒に入られる事がなく100%安全が保証されていますが──今後の冒険を考えると路銀運用が厳しくなってくる。
しかし、前者ならば少ない路銀で済む為、運用は楽になる──半面ここでイベント発生確率が発動する訳だ。
サイコロを振って出た目が偶数なら何も起きない。奇数なら戦闘・もしくは荷物の半分を泥棒に持ち去られてしまう。
リスクを伴うゲーム性があるという事ですね。

ただし、後者を選んでも懐が痛まずに済む方法をゲームマスターは用意してくれているかも知れません。
例えば値切り交渉をゲームマスター相手にするとか。
ホテルの支配人からの依頼を受け達成出来たら無償でホテルに宿泊出来る等。
どちらを選んでも仕掛けが発動するようになっているんですね。
私ならそうしますし。


だからこそ、小説の走り出しである最初がとても重要なんだと私は言いたいです。
全体的に内容がアレな作品でも最初のスタートダッシュのまま読みきってしまって、妙な清清しさを覚えるような作品もあったりします。
いや~誤字も多ければ脱字も多いのに話自体は凄く感動したし主人公と共感出来たっていったような作品もあります。稀ですが。^^;
初版本ってどうしても誤字・脱字が多いんですよね。

私が好きな今一番面白いと思っている「されど罪人は竜と踊る」に関しても誤字表記は多々ありますから。
初版本で買うと必ず誤字が入ってるし、脱字もある。ダメじゃん。思っていたら爪が甘すぎます。
強引なぐらい面白い作品ならば、多少の誤字などアウトオブ眼中で読み進めてしまえるんです。
私はついついうっかり誤字とか見つけてしまったりしますが。^^;
名作と呼ばれた映画もアニメも絶好調な作品の原作初版本にさえ誤字・脱字が存在しているのは、作者・著者の責任ではなく、まさに誤字と脱字を検閲する人である校閲した人間に問題があるからだと私は考える。
あの作品は大抵が600ページと普通のラノベの2倍のページで文字量も多いんだから、校閲する人間は多く見積もって2~3人は欲しい所だ。
特に戦闘描写の部分の表現が難解な点が多く、漢字の使い方なんかに問題があったりしても気付き難かったりするんですよねぇ。
別作品ですが『バスタード』を小説にしても大変だろうなーって思う訳ですよ。あのダークシュナイダーを活字でどれだけ活き活きとさせるかは至難の業だと思います。
まさに、それに匹敵するぐらいの緻密さに加え、躍動までもが感じ取れる程の描写をしているんですわ。
ありゃプロの校閲者でも、編集者でも見逃してしまうのも仕方が無いかなと。


ある意味では、ドラゴンボールのスーパーサイヤ人の戦闘よりもワクワクが止まらないとまで言い切ります。
好きな作品ですけどねドラゴンボール。絶対に面白くなるプロットとパターン構成を取っている王道バトルストーリーですからね。
しかも、来週日曜はセルゲーム開催しちゃいますよ。笑
こりゃ見るっきゃねぇってなもんです。

つか小説の場合は校閲というよりは”校正”の方に近いのかな?
特にライトノベル類は。
これはゲーム業界的に言えばデバッガーの位置に居る人達であり、直接原稿に修正を加える事が出来る人でもあります。
”校正”は明らかな間違いの文字・誤記を正す程度で、内容に関して言及する物ではありません。
が、”校閲”になると、校正の作業に加えて、事実関係にまで著者・筆者に言及したり自分で調査したり、校正と比べると非常に労苦があると思います。
私の言っている事だけじゃアレなので、こちらのURL載せておきます。
URL:http://home.att.ne.jp/zeta/ein/kousei.html(校閲と校正の違い)

アレですよ。
校正の人がランクアップすると、校閲にクラスチェンジ出来るような物だと思えばいいです。
やってる事の共通項は多い訳ですし、別個で考える必要は無いと思います。


でも、一般的に趣味の範疇で小説を載せている人は素人な訳でプロを雇える訳ではありません。
プロの代わりに読者が校正や校閲に踏み込んでくれたりする訳ですね。
例えばあの表現は少し可笑しいのではないか?本来なら○○なのでは?
のように問いかけるようなコメントである。
○行目 性格x 正確○ 
のようにコメントされたりする訳だ。
書き手・筆者側が意見に対して「うざい」だの「分かってるよ」と、言ってきたら正直見放して構わないです。
真摯に受け止め意見をさり気無く反映させる事が大事だと思います。──読者側が正しければ。
まぁ、まず読者側が勘違いする事は少数派でしょう。多分。
狙いがあれば、後書きにでも書き加えるなり、コメント中で答えるなりすれば良い。
得てして。ワザと言葉遊びの為に、
「多分打文で駄文を作ったんじゃないかな?」
「たぶんだぶんでだぶんをつくったんじゃないかな?」
坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた。のノリですね。
即興なのでイマイチ切れがありませんがご容赦下さい。
どんな場面で使うのかは謎ですが。笑


この駄文ぐらいスラスラと書き綴る事が出来ればいいんですけどね?
それが中々難しいんですよ。
ではでは、これからもミレイクロニクルの連載を頑張っていきますので宜しくお願い致します。
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ではでは、また次回(・▽・)+ワハー


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