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そういえば告知も何もしていなかった気がします(・▽・)+小説書いたよ。。。始めだけど [駄文日記]


サイドバーに小説用のPIYOブログパーツを公開しましたよ。
まだまだ拙い作品ではありますが、そちらの修正版を同FC2の小説サイトに清書して順次掲載していきたいと思います。
そのリンク等の掲載もしていきたいと思います。

まだまだサイトとしては発展途上なのですが、少しずつコンテンツを充実させる事が出来ればいいと考えております。
昼夜問わず更新可能な際には最新情報を伝えていければと思います。

勿論、小説の著作権などは『勇者カカキキ』私に御座いますので、内容などの無断転載などは禁止です。
法的な処罰が下っちゃうかも知れないし、そんな野暮をするほど出来た作品ではないですが、大人のお約束です。

面白い物を書きたい!!

それが私の願いです。
ミレイ・クロニクルを今後とも宜しくお願い致します。
時折、先日登録したRSSフィードの性なのか妙な記事が頻繁に混入する事が確認されています。
正直、ウザいので新しいRSSフィードも考えないといけないかなと検討中。

コメントなどはPIYOブログの方で随時受け付けているのでスパム以外なら大歓迎です。
全て自分への評価と甘んじて受け入れたいと思います。

プロの批評家を目指すなら、評価をする際は『良い点』『悪い点』を共に見出す事にあります。
批評家の意見は世の中では大して反映される物ではありませんが、事一般生活に置いて趣味の中では絶大な効果を生み出す物であります。
言葉の種一つで爆発的に成長する人間も居れば、そうでない人間も居ます。
私の場合は評価の良し悪しに関係なく、特に否定される事でより伸びる性格のようです。

勿論誉められれば嬉しいですけどね。笑

友人間では基本的に遠慮と今後の付き合いも考えて、大抵”正当”な判断は決して貰えません。
私は私のポリシーがあり、猛毒を吐けますがそこまで性根がアレな人は数える程でしょう。
今までに幸いだったのが才能に溢れる人間が多く傍に居た事。
これに触発されて頑張れてきた事は事実。
でも、それじゃ背中におんぶ見たいな感じで正直駄目だと思う。

本当の意味での一人立ちをするには、どうしたらいいのか・・・答えは出ていても中々実行に移せない事ってありますよね。
夢に破れて諦めた人間のなんと多い事か。
日本は自由でありながら、諦めた人間の数は世界でも類を見ないぐらい多いのではないだろうか?
それは普段の生活のぬるま湯の中で、本来磨がかれるべき牙を磨いてこれなかった事にあると思う。

挫折の数程人を逞しくはするが、本当に強くなっているのだろうか?
精神を疲弊させ消耗させ摩耗していく事で人は次第に諦めるのだろう。
グラップラー刃牙には、人が最強を諦めるに到るバックボーンの描いた文があった。
親父の拳の前で、最強を諦めたり、ガキ大将に負ける事で最強を諦めるといった内容だったか。
それは事実、私の人生の中にも幾重にも拳の代わりに身体精神の全てに痛打を持って挫折を煮え湯を飲ませてきましたよ。
まぁ、そんなこんなで皮肉屋な性格+妙なパワフリャな自分を手に入れた気がします(・▽・)+

とはいえ、諦めきれない物の一つや二つある。
私にとっては作品を作るという事だ。
小説はやはりライフスタイルの一つとして私の要素の一つでした。
何度も諦めて挫けて辿りついたのがコレだったんです。

作品を産み出すには、あらゆる経験が結構役立ったりします。
挫折経験ってなぁ自分で体験しないと、どれだけ苦しい物か分かりませんからね。
時に才能がある人間を妬み、「何で自分だけこんな・・・」なんて思う事も人によっては日常茶飯事です。

才能がある人間には賛辞を送り、自らの肥やしになる物がないか得る物がないかを貪欲に探るのが私ですが。妬む暇があれば自分を磨く事に利用すればいい。
赤の他人ほど優れた研磨剤は無いですよ。
駄文のまま小説化出来れば一番いいんだが──やはり駄文のままな気がします。
それでも一段階でもクオリティアップに繋げる事が出来れば儲け物。
言葉に触れて言葉を用い、言葉を操り、『千の言葉万の文章』を用いて作りあげられれば幸いです。私の造語ですが^^;


人を引き付けて止まない、『魔述士』と呼ばれたいなぁ。術ではなく、記述の述ですな。
この世界で魔術師は先天性の才と異世界生まれぐらいの設定が無けりゃ無理だろう。
魔力を操る為の重要な要素が現実サイドの我々には足り無すぎる上に、決定的なのは魔力を生み出す存在が欠落している可能性があるという事だ。
だがそこで落ち込む必要は無い。
底辺の世界に生まれた以上、足掻きに足掻いてきた我々は他の並行世界で置いても弱い存在ではないのだから。
底辺に居るからこそ高みを目指せる。
原初の高次元世界にだって手が届くのも同じ底辺の世界に置いても我々が先だろう。
ならば手に入れようではないか。生きて。──尚且つ若い内に。


といった、風な感じに言葉遊びと妄想を含めた作品を作るのが好きなんですね。
やはり、弱い生物が高みを目指していく王道タイプが好きですが、野心がありながら具体的ではなく抽象的な想いに馳せるキャラクターも嫌いではないんですね。
実在のモデルが居たりしますが、リアルではなく夢の中の世界だったりしますがね。だからキャラクター作りに困る事は無いんですよ。
ただ、どうにも夢の中のキャラクターは名前が無いんで、そこでどういった名前を付けるかが非常にいつも悩む。
最初から決まっている者もいれば、全くイメージの浮かばない奴もいるし、アニメとか漫画の影響で引っ張られてしまう事があるのも事実ある。
その中でオリジナリティとは何かを模索し続ける事にこそ意義を見出していきたい。
ゆえに誰にでも『小説』は書けます。
私小説ならばブログの内容からでも書籍化に到る程のデータは揃っています。
3~4年もブログを続けていれば、データは充分にあると言ってもいいでしょう。
とはいえ、一日の平均が100人アクセス程度無いから──といった言い訳も必要無いですからね。
ただ、メーカーが見て売れるか利益が取れるか~といったら無理な物が多いからブログ運営側で書籍化しませんか?
と促してくる訳だ。
自己出版はまさに自己満足の完結版といってもいい。最初はそういった形で書籍化して読者の反応を見るのも良いのかもしれない。

ただ、費用は物凄いかかるんですね。
一種の”投資”のレベルですから経済的弱者は切り捨てられます。
ならば、本気で小説家を目指すとしたら何をするか。
投稿ですね。
でも、その投稿に到るまでが心の葛藤が凄いんです。^^;
だから、ブログやホームページで公開して反応を見たいという欲求に駆られるんですね。私も同様でした。
でも、小説サイトだとよっぽど面白く無いと読者はなかなか食いついてくれないんですよね。
エキサイト側の小説サイトは若干2万アクセス程で停止中ですし。^^;
とはいえ、設定の殆どはアップロードしていないだけで基本結構揃っていたりするんです。

どうにも、設定が矛盾してしまわないようにする事ばかり考え過ぎてしまっている事が自分のブレーキになっている気はします。
現在のライトノベルの現状を鑑みるに、初期と末期で設定に矛盾点が生まれてきている事はハードユーザーならば気付いてしまいますよね?
でも、その矛盾すらも内包して面白いからこそ世に出る訳ですよ。まぁ、叩かれる原因にもなる訳ですが^^;
その中でも緻密で膨大な設定があったとされるのが今は著者が故人・・・本当惜しい人を亡くした。
スニーカー文庫『トリニティ・ブラッド』通称トリブラの吉田直だろう。
矛盾点も恐らくは伏線で、矛盾が矛盾足りえる隙もきっと与えない感じなんだろうなーと。
最早この人以外の誰が描いてもトリブラにはならない。なれないだろう。
それはコンピュータープログラマーの緻密さと同様。
あれは人が引き継ぎをしようとなると非常に大変なんですよ。
人によってプログラムの癖っていうのがありますからね。
その癖一つ一つ、どのプログラムコードがどの働きをして、何処からデータを引っ張り込んできているのか云々。を1日中パソコンと仕様書と睨めっこ──考えただけでゾっとする。
割とこういった作業が好きな私でも他人のプログラムを自分の物に置き換えるのは非常に辛い。^^;
コメントが一切なかったり、宣言した変数名が何故か萌えキャラだったり、よくそれで動いていたな~という強引な構造すらも担当した以上はビシバシっと直さないといけないんだそうな。笑
案外、ソフトの重さに関わる重要な部分は重大なミスがプログラム内に隠されている可能性は否めない訳です。

まぁ、動いたもん勝ちなシステムは未だに公然と使われていますし、世のビジネスの結果に関してはこちら側の裁量ですからね。
中身を解析出来た上で、内容を理解出来る人間などホンマもんのエンジニアぐらいだろうさ。
プログラムの良し悪しは問えないです。使い勝手の良し悪しは御座いますが(・▽・)+オノレコウメイ

設定・プロットの段階で試行錯誤して生まれ出たのが『フォーネリアス戦記』の外伝だったりしました。
でも、外伝と銘打って置きながら多分コチラがメインストーリーだったりします。
本家はオムニバス形式で主人公毎に一話完結型でしたから。

カル・ディアーズ達然り、ジェイル・マーシェル然り──どれもRPGで言えば高レベルキャラクターとチートキャラクターなんですよ。
弱いキャラクターは殆ど居ません。成長の過程はクロニクルという形でしか描けないので、今回が初の試みみたいな物です。
バックボーンが薄い、描写が薄いのが私の特徴らしく、どれも大事なのに軽視した訳でもないのに上手くいかない。^^;
話の中核当たりから物語を走らせる所はスラスラと出てくるのに、話の最初の段階がいつも描けないんですよ。

一応、結末と結果は全て決まっているのに、スタートダッシュを何処から掛けるか、スタートを何処にするかが何時も私の課題になっております。
例えば、ベッドから目覚めて天気もいいしさぁ冒険だ。見たいな作品も世に公開している人は居るでしょう。
寧ろ、それでスタートさえ出来れば何も言う事は無いです。
それはそれで最良のスタートなんでしょうね?

でも、それじゃ読者としての自分が納得してくれないんですよ。
ベッドから目覚めた時に、隣には何か転がっていたり、最初から誘拐されていたりとイベントが起きていないと満足できないんですね。
目が覚めるだけなら、生きてりゃ何度だって目が覚めるさ限界はあっても。──現実なら。
でも現実ではない何処かの話とするならば、目覚めた時には何かが変わる、変わる予兆のような物を感じさせないと読者として満足は出来ません。

ただ主人公が起きた→冒険→依頼達成→クリアのRPGでいう作業ゲーじゃないんだから、一工夫欲しい訳だ。
TRPGリプレイなる物を読んだ事はあるだろうか?
文字通りRPGの原点たるテーブルトークロールプレイングゲームです。これは現実の人間たちがキャラクターになりきりセリフを言ったり行動を考えたり、分岐点に差し掛かれば選択を迫られたりするゲームなんです。
趣味人としての人口は少ないですし、私も未プレイの身ですがそういったリプレイ本を見たりすると、必ずゲームマスターはイベントを起こし、キャラクター達である我々人間を飽きさせないゲーム要素を加えてくれているんですよね。

例:怪しいホテルに泊まるか? それともセキュリテイの整ったホテルに泊まるか?

勿論前者は路銀(お金)の消費も少なく、後者は消費が激しくなります。
HPといった概念もあれば回復力にも影響が出る事でしょう。
後者の場合は泥棒に入られる事がなく100%安全が保証されていますが──今後の冒険を考えると路銀運用が厳しくなってくる。
しかし、前者ならば少ない路銀で済む為、運用は楽になる──半面ここでイベント発生確率が発動する訳だ。
サイコロを振って出た目が偶数なら何も起きない。奇数なら戦闘・もしくは荷物の半分を泥棒に持ち去られてしまう。
リスクを伴うゲーム性があるという事ですね。

ただし、後者を選んでも懐が痛まずに済む方法をゲームマスターは用意してくれているかも知れません。
例えば値切り交渉をゲームマスター相手にするとか。
ホテルの支配人からの依頼を受け達成出来たら無償でホテルに宿泊出来る等。
どちらを選んでも仕掛けが発動するようになっているんですね。
私ならそうしますし。


だからこそ、小説の走り出しである最初がとても重要なんだと私は言いたいです。
全体的に内容がアレな作品でも最初のスタートダッシュのまま読みきってしまって、妙な清清しさを覚えるような作品もあったりします。
いや~誤字も多ければ脱字も多いのに話自体は凄く感動したし主人公と共感出来たっていったような作品もあります。稀ですが。^^;
初版本ってどうしても誤字・脱字が多いんですよね。

私が好きな今一番面白いと思っている「されど罪人は竜と踊る」に関しても誤字表記は多々ありますから。
初版本で買うと必ず誤字が入ってるし、脱字もある。ダメじゃん。思っていたら爪が甘すぎます。
強引なぐらい面白い作品ならば、多少の誤字などアウトオブ眼中で読み進めてしまえるんです。
私はついついうっかり誤字とか見つけてしまったりしますが。^^;
名作と呼ばれた映画もアニメも絶好調な作品の原作初版本にさえ誤字・脱字が存在しているのは、作者・著者の責任ではなく、まさに誤字と脱字を検閲する人である校閲した人間に問題があるからだと私は考える。
あの作品は大抵が600ページと普通のラノベの2倍のページで文字量も多いんだから、校閲する人間は多く見積もって2~3人は欲しい所だ。
特に戦闘描写の部分の表現が難解な点が多く、漢字の使い方なんかに問題があったりしても気付き難かったりするんですよねぇ。
別作品ですが『バスタード』を小説にしても大変だろうなーって思う訳ですよ。あのダークシュナイダーを活字でどれだけ活き活きとさせるかは至難の業だと思います。
まさに、それに匹敵するぐらいの緻密さに加え、躍動までもが感じ取れる程の描写をしているんですわ。
ありゃプロの校閲者でも、編集者でも見逃してしまうのも仕方が無いかなと。


ある意味では、ドラゴンボールのスーパーサイヤ人の戦闘よりもワクワクが止まらないとまで言い切ります。
好きな作品ですけどねドラゴンボール。絶対に面白くなるプロットとパターン構成を取っている王道バトルストーリーですからね。
しかも、来週日曜はセルゲーム開催しちゃいますよ。笑
こりゃ見るっきゃねぇってなもんです。

つか小説の場合は校閲というよりは”校正”の方に近いのかな?
特にライトノベル類は。
これはゲーム業界的に言えばデバッガーの位置に居る人達であり、直接原稿に修正を加える事が出来る人でもあります。
”校正”は明らかな間違いの文字・誤記を正す程度で、内容に関して言及する物ではありません。
が、”校閲”になると、校正の作業に加えて、事実関係にまで著者・筆者に言及したり自分で調査したり、校正と比べると非常に労苦があると思います。
私の言っている事だけじゃアレなので、こちらのURL載せておきます。
URL:http://home.att.ne.jp/zeta/ein/kousei.html(校閲と校正の違い)

アレですよ。
校正の人がランクアップすると、校閲にクラスチェンジ出来るような物だと思えばいいです。
やってる事の共通項は多い訳ですし、別個で考える必要は無いと思います。


でも、一般的に趣味の範疇で小説を載せている人は素人な訳でプロを雇える訳ではありません。
プロの代わりに読者が校正や校閲に踏み込んでくれたりする訳ですね。
例えばあの表現は少し可笑しいのではないか?本来なら○○なのでは?
のように問いかけるようなコメントである。
○行目 性格x 正確○ 
のようにコメントされたりする訳だ。
書き手・筆者側が意見に対して「うざい」だの「分かってるよ」と、言ってきたら正直見放して構わないです。
真摯に受け止め意見をさり気無く反映させる事が大事だと思います。──読者側が正しければ。
まぁ、まず読者側が勘違いする事は少数派でしょう。多分。
狙いがあれば、後書きにでも書き加えるなり、コメント中で答えるなりすれば良い。
得てして。ワザと言葉遊びの為に、
「多分打文で駄文を作ったんじゃないかな?」
「たぶんだぶんでだぶんをつくったんじゃないかな?」
坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた。のノリですね。
即興なのでイマイチ切れがありませんがご容赦下さい。
どんな場面で使うのかは謎ですが。笑


この駄文ぐらいスラスラと書き綴る事が出来ればいいんですけどね?
それが中々難しいんですよ。
ではでは、これからもミレイクロニクルの連載を頑張っていきますので宜しくお願い致します。
気に入って頂けたらPIYOログ共にソネットブログもブックマークしてくださいね。
ではでは、また次回(・▽・)+ワハー


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駄文3 否定とは? 風の噂-ウィキペディア- [駄文日記]


流石に前回の東方コラム中に全く関係ない感じの事を書いていたのでこちらの駄文日記に移行。
この駄文日記。

カテゴリの方に追加する事は無いと思います。^^
偶に書いたりする程度で、もし見つけたらメタルスライムを見つけた程度に思ってくれれば良いと思います。

それとネガティブな感じの内容を書いてるから怒っている訳ではないんですよ。
機嫌が悪い訳でもない。^^;
寧ろあった事を淡々と書き綴っているだけなので、後から清書する時要らん部分は削除したり移動させたりするだけです。
まぁ、趣味趣向の世界では、全て要約しておくと『否定』をするなら具体的な理由を述べよ。
『肯定』するのに理由は不要。
この2点さえ大切にしていれば案外こだわりを持って趣味の世界に没頭出来ます。

まぁ、殆どの人が暗黙のルールできちんと守っている中で、守らない人間に対して戒める時の参考になればいいなと思います。
趣味人が何も知らない人に不当な罵声に屈するなんて悲しい事はありません。

『否定』とは意見であり、罵声や暴言では決して無いんです。
趣味人にとっての『否定』とは現実世界と照らし合わせて、不都合が出る際に言われる事です。

例えばミニチュア家具の世界。
暖炉やストーブのすぐ横に本棚をビッシリと並べたりしたら、火種が飛んだ時本に燃え移るかも知れない。
カーテンのすぐ傍に配置したりしても「火事になりませんか?」この「」内で括ったのも否定意見なんですね。
ある意味で注意であり警告の一種なんです。

小説などで言えばキャラクターの動きに関して。
茶道のお茶をたてる仕草に関して。
「動作や順番がおかしい。」
「お湯の温度がおかしい。」
「茶菓子の設定がおかしい。」
など、これらが具体的な『否定』です。
「つまらない」「面白くない」を否定だと思っていたら『安い頭』はすげかえた方がいいですよと優しくたしなめますよ。

確かにそれらも『否定』ではないのか?

と言われれば『否定』ではあるんです。
ただ、一言「つまらない」「面白くない」を連呼しても意味がないんです。
具体的な一例が含まれていませんよね?
「つまらない」「面白くない」と思った部分は『何処』で『どんな風に』そう思ったのかも書き添えるまでが『否定』で重要な部分です。

普通一般の小学校2~3年で習う程度の内容です。
普通の市が立てた市立学校です。たっかい私立の学校ではないですよ?
私立に入るには幼稚園の時点でこれらの大人が考える程度の事は出来ていないと難しいです。
ただ親には本性は見せないだけで、そこまで学び込んでいる可能性もある訳ですよ。
場合によっては極端な話『子供』は『親』を越えてしまう事を恐れてもいるんです。
まだまだ自分の力で生きられない──自転車の補助輪を取るのが怖いにも似ていると思うんですね。
親のする事を子供が『否定』するという事はそれだけ怖いんですよ。
まず、補助輪になれていたら補助輪無しの自転車はコケますから。
コケたら痛いに決まっています。
親にぶたれるのは誰だって嫌な物だが、ここで『否定』しないと自分も親も不幸になると感じたら否定する訳だ。
一度も具体的な『否定』の無い家族って理想的ではあるんですけど、家族の中で『仮面』被っているだけなら否定されて然るべきです。
本当、最も身近な他人に家族全体がなってしまうのは危険です。
身近な他人と呼ばれるのは兄弟姉妹の間だけですよ。
『否定』させない環境とはなんと窮屈な事か。


『肯定』だけでは住み良い環境は作れますか?
答えは『否』です。時には『否定』の中に答えを見出し『肯定』に繋げる事が重要だ。
アドベンチャーゲームの選択肢でも時に『否定』でグッドENDにいける物もある訳だ。
ただ、闇雲な『否定』では無意味です。
寧ろバッドEND直進してしまいます。

1+1=3

と、算数の域でこれは私の『否定』意見ですとのたまった所で点数を貰えますか?
何を学んできたのかと言いたい。
答えは言わずもがな『2』です。ポパイの法則~とか一昔前遊んだ変則ルールの計算じゃないんだ。
1+1=2  田んぼの『田』でも無い!(我ながら古いな~)
算数や数学と答えがある程度定まっている物に使うのは賢くありません。

先生サイドで間違えがあった際に、

『そこの公式違いますよ』+『正しくはこちらの公式です』=『正しい答え』

これが否定例です。
基本先生が間違えていなけりゃ『否定』のしようが無い問題です。

『否定』が楽しいのは一番楽しいのは国語の時間と社会の時間ですよ。
例えば、国語なら登場人物が出てくる話が教科書に幾つかある訳だ。
先生は提案します。
(解説:さるかに合戦のカニの心情を察しろという出題という体で)
では、仕返しの場面でサルに対して主人公(カニ)はどういった事を思っていたでしょうか?
この例え話は裁判員制度を学ぶ上でも効果的だと思うんだよなぁ。
正直サルはフルボッコ。裁判員制度を学ぶ上でサルの罪状を裁く際は殺人ならぬ『殺カニ』ですからね。
親ガニを殺された子ガニがある意味でトラブルバスター(うす、はち、くり)を雇ってサルを私的にリンチする訳ですからね。

生徒は手を挙げて様々な意見を言う訳だ。

例で サルが可哀想。と言ったとする。
(解説:生徒の意見には被害者側カニの過剰防衛ではないか?も含まれる。)

カニの心情としてはやり過ぎたかな?と思っていると言いたかった訳だが言葉が足りない。
流石にこの意見だけでは他の生徒には伝わらない。

伝わらないから、意見の意見に対し否定の意見も飛び出す。

サルは親ガニを殺しているけど、子ガニは可哀想じゃないのかよ?
(解説:加害者の肩を持つのかよ?そうやって被害者側の人権を無視する訳だ)

その一つの『否定』から議論は白熱していく訳ですね。
今時の学校ではシーンと静まりきって先生の話を聞くだけで終わってるんじゃなイカ?
私達の時代ではガンガン意見を出しまくって参観日だろうが何だろうが容赦なく意見の嵐が渦巻いていましたよ。
黒板に段々先生が生徒の意見に頷きながら書き示していくんだが、黒板中が意見で埋まるなんて珍しい事じゃなかった。
寧ろ、私達の多くが黒板を全て埋め尽くすぐらい言ってやるぜ!ぐらいに思っていました。
ゲーム感覚でこれがヒートしてくるんですよ。
人間対人間の対戦の面白さをこの時代に知っていた訳だ。
さるかに合戦なんて2~3年か1年生の頃にやるような話だけど、深くを見ると何処までも掘り下げる事が可能なんですね。
※あくまで子ガニの心情です。

そもそもサルが意地悪をしなければカニは一緒に柿を分け与えていただろうに・・・って思っていたと思います。
(解説:平和的に円満な解決が出来ていたのに、非常に残念だ。他の道は模索出来なかったのか?)

ざまあみろと思っていると思います。
(解説:サルざまぁwww)

むなしい・・・と思っていた。
(解説:仕返ししても親ガニは帰ってこない)

早く死ねばいいのに。
(解説:ふははは苦しみもがけ、煉獄の劫火で浄化されよ!)

※段々解説部分がファンタジー化してきているのは気にしないで。

でも、実際にこの『程度』の意見の応酬なんて日常茶飯事でしたよ?
生徒全員が熱くなれるっていうのは結構重要だと思います。
インターネットで書き込みが出来ても、口頭での意見の応酬が出来ないのはお子様です。

例えば更に先生がここで提案します。
「サルを懲らしめる事は結果的に良かった事でしょうか?悪かった事でしょうか?」
はい、意見投下ーーーここから乱戦にもつれ込みます。

良かったと思います!
(解説:罪はさばかれるべきであるし、サルには反省して欲しい)

良くないと思います!
(解説:私的な気持ちで罪はさばくものではない。法律に任せてさばくべきだ)

と、対立意見は必ず立ててくる奴がいるんです。
その二分した意見に対して支持する側としない側に別れるんですね。
教室を二分して論戦です。※個人の感想ですが、あの頃は学校がめちゃくちゃ楽しかったです。
正直参観日とかでコレをやったら親ドン引きするかもなぁ?
親なんて空気です。
こんな状況で「頑張れ」なんて親は簡単には言えませんよ。
親自身もこの問題に関して真剣に聞いていたと思います。
圧倒されて絶句かも?だが。笑
ただ意見を持たない弱い生物では決して無かったんですね。

意見が重複しようものなら他の奴から注意されるんですよ。
結局言ってる事同じじゃん別の意見いえよ!
\そうだそうだ!/※バックコーラス
痛烈な批判ですよね?笑
生徒の半数10数人にバチバチ攻められるんですよ。
仲間がやられたらフォローに回ったりする連携。
(解説:ある意味で政治の派閥闘争みたいな感じです。野党と与党の争いでした。ヤジも飛ぶし)
論戦を傍観していた奴は意見を鞍替えして反対意見側に行く事だってあった。
(世間では裏切り行為ですが、ソレが意見の場では至極当然の事なんですよね)

※注:小学校での話です。

ではサルを法律で罰するとしたら今現代の私達はどうしますか?

1、計画性は間違いなくあった記述がありますよね。独り占めにするつもりだった。
2、渋柿をぶつけられ親ガニを私利私欲の果てに殺した。
3、反省はしていたか?それとも否か?
争点は3にあると思います。
もし反省していたら情状酌量の余地はあるかも知れません。
日本なら10数年で務所から出られる程度の求刑ではないでしょうか?
でも、反省していない事が分かれば最悪状況を鑑みて無期懲役の求刑もありえるのではないでしょうか?

恐らく私個人の判断では国語の教科書版では反省はしていなかったと思います。
最後は子ガニと仲直りしていた気もしますけどね。高い柿の木に登って柿を手渡している挿絵があったような気がします。※親ガニ死んでます。普通親の仇と仲良くできねーよ。^^;周りのウスやハチやクリが笑顔なのも気になりました。
他の園児が見るような絵本では親ガニは死んでいなかったり、全員と仲直りしている物もありました。美味しい柿を皆で食べて幸せハッピーエンド!
そんな話に何を学べというのでしょうか?
まぁ、痛みを学ぶ点では「さるかに合戦」は秀逸な作品であると私は思いますね。
裁判員制度に関する説明にも、具体例としてこの例を挙げるべきだと思います。

サルに対して貴方はどんな求刑をしますか?


余談ですが、
「おじいさんの大きなカブ」だっけか、あれってまだ国語の教科書にあるのかな?
あれはあれで意見の応酬があったような・・・。何で争ったかすら覚えてないわ~。
もう内容ではなくて挿絵のおじいさん達がカブを引っ張っている所しか覚えてませんが。^^;


そうそう、映画の話にもありましたねぇ。
「ベストキッド」のリメイク版を映画館で見てきてジャッキーの師匠っぷり、子役のジェイデン・スミス(ウィル・スミスの息子)の名演振りに少なからず感動しました。
やや試合の部分のカメラワークだけが酷くて他の子役達の技の切れも凄かったんですよ。
ライバル役のあの少年の業の切れは映画とはいえ並の大人が受けても立っていられないだろう程でした。
本当何故、肝心な試合の部分のカメラワークだけ悪いのか信じられない。
正直、私には2度泣き所があって素晴らしい映画・・・あれれぇ?って感じで驚きました。
いやいや、あのカメラワークの悪ささえなければ文句無しの100点でした。
98点程度でしたねぇ。
旧『ベストキッド』を見ていなくても楽しめる内容ではあったと思います。

ネタバレを含むのでここから隠しますね。

こういう否定があった。
ラストのジェイデン・スミスのオリジナルの超必殺技が子供には不可能だ。という意見を言う人が感想で居た。
この否定に対しての私の答えはコレでした。
あのワザは私の能力で全回避に使ったら、咄嗟に避けれる自信は1割です。
それ程の見事な必殺技でした。カメラーワークもその点はバッチリ映していましたし。
『子供の可能性を低く、侮っている』大人の意見だなと思いました。
つまり、努力はジェイデン・スミスのカンフーに対しての努力などしていない偽物だという事ですね。
あれ、実際のアクションですよ。
あの国お得意のワイヤーアクションは使ってません。
寧ろこの映画でワイヤーアクションの部分なんて御座いません。
あれは実際の特訓で成せるワザであり、ジェイデン・スミスの努力の結晶でもある訳ですよ。
「無理がある・・だって子供だから」
それって理由になるでしょうか?
中国の子供達は3~4歳からでもバクテンの訓練したりしているのに物事の単位が狭いんですよね。
自分に出来なくても、他人には出来るという事実を知らない人のようです。
井の中の蛙ですね。
これは暗幕の後でも説明しましょう。※1

友人はやや修行前の最初の方の流れが長かったようです。
つまり、主人公が師匠であるジャッキーに助けられるまでのイジメの件が長かったという事ですね。
ああ~確かにそれはあるかも知れないなとは思いました。
とはいえ舞台作り、背景を作るには充分な長さだったと思っているので私は減点対象はしませんでした。
この意見には少なからず納得はしていました。
とはいえ、旧『ベストキッド』を見たことがある人は、それを踏まえて何時ジャッキーが出てくるのか実力を見せるのかをワクワクしていたと思います。
これが旧『ベストキッド』を見ていた者の楽しみ方なんですね。友人は見た事が無かったそうなのでこの楽しみ方を出来なかった事がそう思った理由だと思います。


※1
映画の感想の否定が「子供だから無理」という事に対しての言及。
子供だからという今までそういった理由で子供を蔑ろにしてきた奴の意見だなと思って胸糞悪くなりましたね。
子供だからパソコンは出来ない、子供だから英語は出来ない、子供だから何も出来ない、子供のいう事は信じられない、子供は親の言うことさえ聞いてればいい──最終的には子供を玩具か物のように言う人間というのはこんな単純な思考回路しかないのだろうかと嘆きましたね。
いや~こういった人が親だったら子供可哀想ですわ。^^;
こういう方には私からの言葉のプレゼントは、親の程度が子の程度。

映画の話からの派生ですが、品位だの貫禄だの親を見習うのが子供です。馬鹿げた事すら吸収していきます。
『否定』の理由一つでその人のレベルが把握されてしまいます。
親が他人の親に叱られるという恥ずかしい事態を招きますよね。
親の恥ずかしい所を見たら、子供はもっと恥ずかしい物だそうだ。
子供のいじめではなくて、ケンカに親が介入していくような馬鹿親も居ると聞きます。
というよりも過去に怒鳴り込んできたのが居ましたね。
あの時は私の方に『たまたま』不備がなくて、相手の親に連れられてやってきた子供が「ごめんな」と非を認めてしまった事で自分の親を説得する子供の様子なんてショッキングですよ。
一応私達子供同士の間でサっと片をつけたんです。
「ごめんな俺が悪かったよ」
「いいよ。俺も殴ったし」
たったこの程度のやり取りで終了です。
ドラマかと。笑
私がドラマや漫画みたいな体験をしている内の一つですね。
相手の親の非だけが露になり罰が悪そうに帰っていきましたよ。
完全に私が悪いと決め付けて自宅にまで乗り込んできた訳ですね。
謝罪に来たのならもっと粛々とベルを鳴らしますからね。
薄いドアをガンガン叩いて家の親を呼び出してきたのは借金取りかよと。笑
あれって連れられてきた子供の方が恥ずかしくて、死にたいほどだったんじゃないでしょうか?
あの後普通に飯を食べている時間だったんで確か普通に飯食ってました。
なんか自分の親と話したかな?
覚えてないです。
子供のケンカに乗り出してくる親に貴方はなりたいですか?持ちたいですか?


幼少の頃は悪さしてましたからねぇ。本当『たまたま』悪い原因が私でなかったのが、幸いでした。
悪運も強けりゃ運も良い。
もし、こっちが悪かったら大変な事になっていただろうし、私の親もメチャクチャ私を叱ったに違いありません。
流石に相手の親も自分の子供が非を認めて、許して貰った後で叱るなんて馬鹿な事はしなかったでしょう。
静かに幕を下ろした訳です。
ある意味で円満な解決じゃないでしょうか?

蹴ったり殴ったりのケンカなんて子供時代にはよくありましたよ。
私が他の友人の家に遊びにいって悪さしたら、そこの家の親に叱られました。
普通は他所の子を叱るって今の時代引っ込み思案な親が多くて出来ませんもんね。
あのご両親をもった友人はきっと幸せになるなぁと思いました。
いや、ほんとあの時はすみませんでした。
何が原因で怒られたのか忘れてしまいましたが、叱られたという記憶は残っており、そこに対しての感謝の念がずっと残ってるんですよね。
程なくして俗にいう転勤族だった彼は引越ししていきましたが。
あの人達には幼少の頃に大切な物を教えて貰った気がします。


叱るとは『否定』の最たるものです。
何故、それをしてはいけないのか駄目なのかを具体的に教える行為です。
この言葉を覚えておくといいでしょう。

叱るのは人の為!
怒るのは自分の為!

どっかの偉い人も言ってましたよ。
後、叱るのは10分、それ以上は自分のエゴだっけか?そんなニュアンスの某餃子のなんちゃらの社長さんだったと思うが言っていた気がします。「深いい話」でした話だっけか。全員「深い」をしただけに凄いグっときましたね。
だから叱るのは10分程度でそれ以降は何も言わないそうです。

叱ると怒るって同じじゃね?と思っている人は次の例を見て言って下さい。
「ほら、ちゃんと道の端を歩きなさい」と言った後の対応で叱ると怒るが系統で分かれます。

「ほら、ちゃんと道の端を歩きなさい。道の端を歩かないと車(ブーブー)が来て危ないでしょ?」
これが叱るです。
具体的にどうして端を歩かなければならないかの理由を簡潔に具体的に話しています。
しかも理解を促すように最後に相手に尋ねています。
相手の「分かった」か頷くのを待つまでが叱るです。
で、相手が納得したら「エライぞ」と誉める。
アメとムチの使いようの具体例でもあります。
ペットの躾と同じみたい──と思ったらある意味で正解です。
子供の頃なんて知性ある獣みたいなものですから、ペットの躾の延長線上にある行為なんでしょう。

「ほら、ちゃんと道の端を歩きなさい。危ないでしょうが!他の人に迷惑でしょ!」
これが怒るです。
理由ぐらい言ってやれよ。これ遂最近聞いた幼い子供に対しての親の叱咤です。
そもそも、まだヨチヨチ歩きだし人も多い場所なんだから手ぐらい繋いでやれよと。あれって悪人からしてみれば誘拐して下さいといっているようなもんですよ?
これでも叱ると似たような効果はあります。
が、親の前でだけは道の端は歩くようになるだけかも知れません。

子供側が何故怒られたのかと考えた場合。「親の前で道の真ん中を歩いていたから怒られた。」と思うに決まってるじゃないですか。子供に馬鹿って言う親が居ますが、馬鹿という前に自分の教え方の悪さを恥じた方がいいですよ?
正直、たまたま見掛けただけですが、覚えていたのでここに記しました。


子供が居ない独身男だが、自分の経験と照らし合わせて逆算すれば教育とは何かを提案出来るんですね。
更に言えば私は親でも何でもない教育者でも無いです。
最後に説得力を少し落とすという。
これが駄文クオリティです(・▽・)+

でも、的は射ていると思いますよ?
心理学や哲学、行動学なんかは独学ですが、脳内シュミレートは結構優秀です。
「ああ言えば」
「こう言う」ではなく、私の場合は「こう言ってくるだろうな」と既に検討されているんです。
これはまだ一手先しか読んでいませんが、世の天才はここからゴールまでの会話を予測してしまうんだそうです。
つまり、最後にどんな結果で終わるのか最初の会話で既に見えているんですね。
「プロファイリング」という言葉がありますが、あれを瞬時に相手の人となりや性格、言動から何をしたら不快に思い、喜ぶのか、コンプレックスは何かまで僅かな情報データと、今まで出会った人間の情報データから系統・分類に照らし合わせて対策と傾向を組めば、まず大抵の人間が太刀打ち出来なくなります。

これこそが相手の気持ちになって考えるの究極系。
まるで、あたかも人の心を読んでいるように見える技術です。
これが私を敵に回した際に怖いと言わしめる部分なんですね~。
敵に回さなければ結構適当でアバウトな性格ですからね。
天然属性を貴様は持っているな!?とドジッ子属性と対を成すような性格分類されてしまう位には可愛げはあるようです。
「て、天然なんかじゃないんだからね!?」
でも最近では自分でも天然かもと思い始めております。
でも、散々怒られた事でもあるんですよね。笑
「相手の気持ちになって考えろ」って。
んな事いっても相手の言う事なんかわかんねーよエスパーかよ!と頭の中では思っていましたが。
なるほど、相手の気持ちになるという事はこういう事か!?
と、結構革命的な事ではありましたね。

ただ、未だに未熟なので多分一生「相手の気持ちになって考えろ」と言われ続けるんだろうなと思います。
ある点では相手の手の内の全てをばらし白日の下にさらさせる技術ですが、人間性の成長も必要な技術なんだと思います。
プロファイリングの人間が犯人の気持ちになりきっていると、感化されて自分が模倣犯になってしまうようなケースもあるそうです。
犯人と感応し過ぎると危うく、精神鍛錬の無い人が半端な知識でやると非常に危険な技術でもあります。
なので、良い子はマネしないようにしましょうね。^^

簡単なプロファイリング。日記帳がありました。
3ページまで書かれていて、1日から初めて3日で終えています。
最後に書かれた日付は一週間前の物でした。
この結果導き出された答えはこの日記を書いた人は「三日坊主」であり、趣味などが長続きがしない人でしょう。
飽きっぽい性格が伺えます。
など、分析出来るという事ですね。
更に文面の内容も加えると、漢字の使用率や文字の書き方、ページの使い方一つで様々な事が判明します。
年齢、性別、筆記体、几帳面か否か、右利き左利きか。等です。更に深い所まで読まれるかも知れませんよ。
普段一般で使う事はない、ディテクティブ・スキルですが、こういった物もありますよ~ってことですね。

コンビニのレジで袋の入れ方一つでも性格が分かるし、レシートとお釣りの渡し方でも分析されてしまいます。
基本OFFにしていないと、一々分析しちゃいますからね。
ON・OFFの区別はしっかりと付く人じゃないとノイローゼになって鬱状態にまで堕ちる事もあります。
故に危険と表記した次第です。


本当、私ってば一長一短な能力ばかり取得しちゃってる気がしますね。
それなら儲けに関する知識とか、小説を書く技術とかの方が欲しいですわ。
小説には応用できそうな気がしますが、目下精進中で御座います。
背景描写とか大事な部分の技術が欠落しているんですよ。
そこがねぇもっとしっかり国語とか学んで置けば良かった~~と悔やみ所です。

ではでは、又の駄文でお会いしましょう。by勇者カカキキ -些事を見落とさず大事を見落とす程度の能力-



【東方サウンドトラック】

幺樂団の歴史1-Akyu’s Untouched Score vol.1/上海アリス幻樂団


幺樂団の歴史1-Akyu’s Untouched Score vol.1
上海アリス幻樂団


幺樂団の歴史2-Akyu’s Untouched Score vol.2/上海アリス幻樂団


幺樂団の歴史2-Akyu’s Untouched Score vol.2
上海アリス幻樂団


幺樂団の歴史3-Akyu’s Untouched Score vol.3/上海アリス幻樂団


幺樂団の歴史3-Akyu’s Untouched Score vol.3
上海アリス幻樂団



幺樂団の歴史4-Akyu’s Untouched Score vol.4<br>上海アリス幻樂団


幺樂団の歴史4-Akyu’s Untouched Score vol.4
上海アリス幻樂団






幺樂団の歴史5-Akyu’s Untouched Score vol.5/上海アリス幻樂団



【東方サウンドトラック】


蓬莱人形~Dolls in Psuedo Paradise


蓬莱人形~Dolls in Psuedo Paradise



蓮台野夜行 ~ Ghostly Field Club


蓮台野夜行 ~ Ghostly Field Club



夢違科学世紀 ~ Changeability of Strange Dream


夢違科学世紀 ~ Changeability of Strange Dream



卯酉東海道 ~ Retrospective 53 minutes


卯酉東海道 ~ Retrospective 53 minutes



大空魔術~Magical Astronomy


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駄文2 ぼくわキノの旅をよみました。 [駄文日記]

注意:駄文が含まれます。 読み終えるまでの時間をタイムウォッチなどで計って見ましょう。 違った楽しみ方が楽しめます。


キノの旅の14巻を読んでた。

面白かった。


小学生の頃の読書感想文でもこんな感想書いた事が無いです。
確か小学校2年生の頃だったかな。
本を読んだ数がわかるように一冊一冊読んだら教室の外にある自分用の感想プリントに記載する試みが行われていました。
別に多く読んだからといって景品や商品がある訳じゃないが、結構読んでいる人が居ましたね。
私も当時は教室に一人で残って教室中の本を読み漁っていました。
当時小学校2年生ってのはクラブに入る年じゃなく、放課後は友人と遊んだり外で遊んだり、何処かの家でゲームしたりが基本だった。
私の場合はその日課に読書を組み込んでいましたね。

基本、私は学校構内の本だけに限定していたんですが月に20~30、多くて40冊程度。
まぁ、大人からみれば大した数じゃないって思えますけどね。今よりはよっぽど読んでいる気がします。
基本童話や小説や図鑑ばかりだったので、子供には結構重い本ばかりだったんですよ。ハードカバーって重いよね?
あの頃から本の読み方は目で読む黙読が中心で、国語の教科書の朗読なども自信がありましたね。
未遂に終わりましたが、朗読発表会なるものに出されそうになり必至で抵抗して出席しませんでした。笑
今思えば、あそこで出席していたら恐らく色んな事が変わっていた感じがしています。
見事にフラグをへし折ったんですね~。^^;

で、まぁナチュラルに脱線させたので続きを。

結構、読書数で競う事もよくある話。
私がそうやって数を稼いでいる事は周囲の生徒も知っていましたからね。
遂には自宅の本を読んできた~見たいな申告で読書感想文を書いてきている人間も現れたワケだ。
それで私に言うんですよ。
「お前より多く読んでるぜ」
的なね。^^
だから、どうした?と今の私ならサラっと言い返しても実際そう思っていますが、当時の私はガキもガキ。
「だから、どうした?」
とは言っても内心メッチャ悔しかったんですね。^^;
まさか過去の自分が未来の私に分析されているとは思うまい。
あれだ、幾ら本を読んでも奴等には勝てないんですよね・・・。

で、気付いたんですわ。
速読なんて技術があの頃は全く無名だった頃。
黙読とはいえ1ページ1分のペースで読んでいた私に勝つにはそれ相当の努力しないといけないんですよね。
星新一の本を母親が沢山集めていて、読めない漢字にも確かルビが振ってあったんで読めた記憶があります。
大人が読む本だけに結構時間掛かった。
で、彼等が読んできた本も恐らくは結構時間掛かるんですよ。
技術のない子供が一日やそこらで読めるワケがない。それを2冊3冊読むとなると「?」ですよね。
実際に読んでいたのかも知れませんが、全てを読む必要が無いんですよね。

昔の本は本の最後に必ず「あとがき」があった!
あ、ちなみに「あとがき」に関する関連性があるものとしてキノの旅の話も上げる予定なんで最初にあげました。
昔の「あとがき」にはネタバレとも言うべき内容。事の顛末まで一切を要約して書いている場合があるんですよね?
つまりあとがきを読めば全ての内容を読んだも同然。
それなら何冊でも一日で読書感想文が書けるワケですよ。
しかも、嬉しい事にポイントを抑えてくれていて見所まで書いている作品もあったりするんですよね~。^^;

だから、必然的に「あのトリックがこうでこうだから面白かった。」と書けば感想文にそのまま転用できるという。
いわば盗作ですよね。
あんなのに悔しがっていた子供な自分が憎い。^^;
実質物理的時間を用いて読んでいた人間は、数をひけらかす人間ではなくて地味に読み進めていた人なんですよね。
まぁ、そんな小さな争いがあったとしても上には上が居る。
読書感想文が始まる前から連綿と読み進めていた人には勝てません。
同年代とは思えないぐらい月50~60冊と読める人間も普通に居たワケだ。
私なんて所詮その人からしてみれば、2番3番程度です。
そういった人に対しては不思議と悔しさは無いんですよね~。

もし、大人になってもそのペースで読み進めていたとしたら一体どれだけのキャリアなのだろうか?
大人になったら「速読」などにも出会うし更に高速に読み進めて一月に100冊越えを軽く達成して論文だの書評だの書いているかも知れないな。^^;
あれから20年以上経ている訳だから、月60冊としたら・・・

12ヶ月x60冊=720冊

720冊x20年=14400冊

小説や書籍だけでこの数。
私の場合は漫画の数を足してどっこいといった所でしょうか。
ひょえーですよね。


【こっからは注意!】
自論に入るんで見たくない人は読み飛ばそう。
一部可視化してあります※全選択、ドラッグすると文字が浮かび上がるよ。
ん~でも速読とかの技術で読むと何だか本をただの物としてしか見ていないんじゃないか?って思っちゃうんですよね。
昔は単純に娯楽として読んでいた筈なのに、読む為の物としているのが何だか寂しい気がします。
あくまで、速読を使う場所を弁えないと意味が無いと思います。
無感動で読める技術本(マニュアル本)などは速読でガンガンいっちゃって立ち読みで全部読みつくしてもいいと思いますが、ライトノベルや純文学といった物に対して使う物ではないと思います。

確かに内容も覚えている上に、凄い人に到っては同内容が書かれていたページすら映像で覚えていたりするんですよね。
私は思うんですが、小説を読む時はある程度読んで一端手を休めて自分なりの考察をキャラクターに成りきって考えて見るんですよ。

コイツならこうするだろうな。こいつの矜持はこうだからこういった行動はしないだろうな。
コイツは美味しいところを掻っ攫うから最後の最後で何かを起こすかもな。起こすとしたらこんな内容だろうか?


なんて思ったりして考えながら読むんですね。
読み終わってから考える・・・じゃ遅いんですよ。
速いのに遅いんですよ。
これって自分が考える事を極力せずに内容だけを読み進めているって事ですよね?
結果として涙がついてきました~って感じがしてならない。
内容に感動し泣きながら速読している人も居ましたが、それってもう内容の泣き所を読んでいるから泣いているんですよね?
別に否定はしませんが、勿体無い読み方しているなと。
そういった人は一度読んだ本は二度読むという事をしないのだろう。
本の内容は不変であると勘違いしたままの人も多いのではないか?

確かに文字列が勝手に動いたりする物ではないし、物理的に不可能でしょう。
ですが、再度読むタイミングや時期、自分の気持ちの状態で受け止め方が変わるんですよ。
あの時はああいう推理をしていたな・・と思い出で残る事ってあるんでしょうか?
一度答えを知った後、サスペンス系なら犯人はこの時どういう気持ちでああいった行動を取ったのだろうと2度目はまた違った視点で想像出来るんですよね。
3度目は好きな脇役に注目して読むのもいいでしょう。

もうね、速読の技術を持つと写真を見るかのように内容を覚えてしまっているんですよ・・・そして、今後も同じように読んでいってしまうんですよ。
手遅れなんです。
私も危うく身に着ける一歩手前まで言ってしまって、悪く言えば『機械読書人間』になる所でした。
純文学やライトノベルといった物ではこの技術は使ってはいけない・・・と危険信号を感じたんですね。
確かに使える能力だが、実の所これって制御というよりは癖に近くなってしまう物なんだと思います。
技術書を読むなら1冊読むよりも10冊読んだ方が内容を纏めて理解しやすいです。これが速読の利点ではあります。
ですが、デメリットの部分を見落としているんですよね。
娯楽としての本を読む事が出来なくなってしまうのでは・・・?
普通に読んでも大抵の内容はぼんやりと覚えています。
私の場合は最初の1ページを読めば内容が想起されてしまい、「あ、これ読んだ事あるな」と私の半端な能力でも思い出す事が出来ます。
私のはカメラのシャッターを切るようなバッバッと1秒しか見ない方法ではなく、目の使い方の速読術だったのも幸い被害が少なかったと思います。

簡単ですよ。最初1~2行目は上から読み次の3~4行目を下から読むんです。慣れるとこれでも内容を把握出来るっつうか集中状態(コンセントレート)出来ていたりします。
最近は大抵は上から1行ずつ読んでいますけどね、一昔前の私はそんな感じでした。
内容が600ページに及ぶような物では偶に使いますね。クライマックス部分を想像による映像化しながら見るには便利な能力です。
謎の声優陣が脳内に居て、勝手の声とかを補完していたりします。
声優の名前とか疎いんで全く分からんですが、アニメで良く聞く声の人とかは片っ端から起用されていると思います。^^;

好きな声優さんは居ますけどね。シャア・アズナブルの声とかをやっている池田秀一さんとかね。
好きなゲームの一つアークザラッド2の「シュウ」の声を担当していたのが切欠で好きになったんです。笑
シュウの「死んで償え」は永遠の脳内名セリフに永久欠番登録されています。レベル?当然MAXの1000に決まってる。
熟練度は銃のマシンガンだけMAXでショットガンがあと一歩という所、蹴りなんか殆ど使ってねぇ。笑
と、脱線した。

速読を学ぶならON・OFF出来る物を選ぶといい。力を使う時と使わない時で制御できるのが良いと思います。
本は自分の矜持や知識を持って、自分なりの考えを持って楽しむ事でより世界観を愛し、浸れると思うんだけどなぁ。
特定のファンになるチャンスを失う切欠にもなり兼ねない。

ただ読みますか?

読んで自分の身にしますか?

単なる時間潰しにしろ、自分の身にはなっていると思いますよ。
次に別の本を読んだ時の読解力が増していると思います。
だから、最初に読んだ本が駄作だった・・・と思っていると。読み返した時、こんな仕掛けがあったんかい!とロジックが分かったりするんですよねぇ。
特に人物関係の相関図やら仕掛けた罠などに関するロジックが分かった時にゃあアハ体験しちゃいますよ。笑


自論でした。
メリットの部分しか基本伝えてない能力なので、デメリットには一切触れていないんですよね。
学んだ後で副作用的に蝕んでくる物なので、学んで後悔しないという人のみやるべきでしょう。
仕事で使う分にはこれほど使い勝手の良い物理スキルは無いですし、動体視力も上がって相対的に視力も上がる場合もあるそうです。
ちなみに、私は『裸眼』ですよ。視力は良いとはいえませんが、シューティングやる分には問題無いレベル。



では、そろそろタイトルに関して。
自分に対してのフォローでも入れて置きましょうか?
「ぼくは、キノの旅を読みました。」
と書くのが正しいです。
最近、本気なのかギャグなのか、、、「私わ」「俺わ」「貴方わ」と使う人がいるが理解して使っているだろうか?
理解して使っているなら・・・まあ、いっか。とはなりますが。
正しくは「貴方は」「僕は」「俺は」「私は」と音は「WA」ですが「は」と書きましょう。
賢さが足りないと思われちゃいますからね?
ギャル文字とかの一環として使う分には「わ」でも「は」でもいいやとは思っているが、文学作品でこの表現を使う場合は、きっちりと統一した方がいいですよ。
所々に正規表現を入れていると統一感がなくてバラバラのイメージになりますから。
何故「わ」と呼ぶのに「は」て書くのか。
その事は『助詞』に関してのウィキペディアを見てくれれば分かる。ここで書いた所で私じゃ説得力が無い。笑
美しきは日本の文化です。大切にしましょうや。^^;

それを言うなら、このブログのタイトルの『風の噂』もツッコまれそうだが、これは正しくは「風の便り」「風聞」が正しいとされている。
でも、現在噂話をする時に「風の便り」「風聞」といった言葉を常日頃使っている人が何人居るだろうか?
最早、『風の噂で~』と言っても誰もが納得する筈だ。
まぁ、風の噂で~の使い方としては出典元(=情報提供源)を曖昧にする為に使う見たいだ。
余りにも多くの人が勘違いしていた為に、最早『風の噂』と使う事は間違いではないのではないだろうか?
数の暴力、数の勝利と言うべき暴挙的な論理ではあるが、一人がそれは間違っていると言ったとしても誰も見向きもされないでしょう。
と、何時も大抵ここまでの前振りが必要になるんであんまり普段、説明しないんですよ。長くなるし、たるいから。笑


見向きもされない物。幽霊から怪奇現象、身近な噂や民間伝承などを非営利的に集めましょう的な団体名として、あえて使っているだけ。
メンバーの中には普通の学生、サラリーマンから主婦、あらゆる職業の人が居るらしい。
その長たる私をもってしても最早把握出来る物ではない。
この世の中で暗躍していて、様々な噂を発信している。
もう何年も前からこっそりと活動していましたから。^^
大抵情報を発信する際に『風の噂』のキーワードを入れている一部の人間はもしかすると「風の噂」の面々かも知れない。
入会とかそういった会員制ではなく、自分が「風の噂」だと思えば誰もが「風の噂」である事を名乗れるんです。
遂最近、似たような団体などを描いていた作品がありましたね。
『デュラララ』とは全く関係が無いですが、奇しくもリアル版”ダラーズ”みたいな事を5~6年もやっていたんだなぁと、このラノベの作者の作品は別で買っていてデュラララの存在に気付かなかったんだよなぁ。
絶対読んでたらシンパシー感じまくりだったろうに。^^;
まぁダラーズは実働班ですよね。無色透明でありながら、形や実態はそれでもキチっとある。
私の「風の噂」は実態も気薄だわ、活動といえばへんてこな噂や怪談話やら身近などうでもいいような話ばかりを流布したり回したりする存在だからねぇ。
助けを求めても基本助けない、関わらない、足掻いて見せろが基本方針。
始まりは私でも誰も助けちゃくれませんよ?笑
いい年した大人達のごっこ遊びの延長みたいな物なんです。暇つぶしとも言う。^^
いつも利益ばかり求めている・・・かに見える人も知った所で無利益な情報で戯れたいと思う人間は少なからず居ると思います。
そういった方には是非「風の噂」という自覚を持ちポリシーを持ってヘンテコな噂で世間を沸かせてくれればいいなぁ~と、私は思っております。


私の駄文が最たる物です。
基本的に一銭にもなりゃしない。笑
タダだから見てやるゼって人が殆どだと思う。^^;
以前の仕事では一回数百円ほどの価値のある『駄文』を使いますが、普段ブログ上では0円どころかマイナス価値なつかえね~~『駄文』を使っています。
最後の最後でいつも言うんですが、私の話は半分・・・よくて2割で聞いた方がいいと。
1~2時間話した後に、ユーザーの皆さんに納得して貰ったところで実はウソでしたと明かして「おまwww」「なん・・だと!?」「そんなエサに俺が・・・釣られた・・だとぉ!?」「無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!」とブーイングされた時は最高に気持ちが良いですね。
最後に笑いで締めるのが『駄文使い』たる所為。
貴方があの西尾維新の戯言シリーズの”戯言使い”でなければきっと笑ってくれると信じている。
自称、駄文使いとしてのキャリアは初めてパソコンに触れた15~16年程。年期が微妙に入ってますね。
あ~でもツイッターとかで使ってる人が居たなぁ。全くの別人です。もしツイッターネームを使うとしたら『勇者カカキキ』『カカキキ』『????(内緒)』を使うだけですよ。元ネタは勿論私ではなく「とある魔術の~」とか最近のアニメ・ラノベからニュアンス引っ張ってきているのかもな。
駄文遣いで検索したら、約 448,000 件世にこんだけ”駄文遣い”がいるとはな。笑
しかも、大分使ってる筈だが、私の駄文は大分後の検索だ。^^;


駄文とは? 風の噂-ウィキペディア(Wikipedia)-
愚にも付かない下らない内容。
思うがままに書き綴った内容で中身が無い物。そりゃもう徒然なるままに。
見てもガッカリする物。つまらない、下手、半端な内容。
なるほど──と思わせておいて最後に落とす。
己の文面・文章に対し謙遜して言う言葉。
読み方は「だぶん」。「だあや(幻想郷の方言でダメだよ鴉天狗のあやさんの意味。東方知らん人にも意味不明)」ではない。
愚痴。
無駄に長い。とにかく長い!※私のこの記事を見て分かるように。
文字の間違いにやたら敏感。良い駄文ほど良く清書されたものだ・・・。
文章オンリーという地獄を作りだす事。※全てを読ませる気は一切無い!


駄文使いとは? 風の噂-ウィキペディア(Wikipedia)-
俺 With 神の別称。※俺が神だ!
傲慢であり文面の駄文が物語る。※小心者である事が多い。私の場合は奔放。
傲慢のように振る舞いながら実は本当に傲慢だったりする。
自己表現に駄文を用いる。無価値有価値関係なく。
名乗ったもん勝ち!
説明しなくてもいいものをワザワザ説明する。
たった一行の文章から、逸れて逸れて自分でも意味が分からなくなる。
駄文を作りだすのに余念がなく、地道な情報収集など水面下の水鳥的に足掻いている。ちょっと人とはコメントが変わっている。関わった人はコイツ・・・今までの奴と毛色が違う!?と気付く人が多いみたい。
ブログなどで記事を書く最中に色々とアイデアが浮かびあがり纏まらない(笑)。※纏まらせないともいう。



で、脱線した内容を元に戻してここから本編である。
キノの旅最新巻はまだ全てを読んでいませんが、キノらしさがあって途中まででも面白い。
内容も中々トンチが効いている。
独特なキャラクター達の思惑や、出会う人々の思惑を考えるのが楽しい。
いつも通りである。
それがまた美しいんですけどね。
『キノの旅』は作品としてはショートストーリーが何篇か収録されている。
一応どの巻から読んでもいいけれど、最初から読んだ方が楽しめるが、好きな読み方でどうぞ。
一話完結って具合なんで非常に読みやすい。
短い物だと5ページ程度で終わる話もある。^^;
作者が『あとがき』が大好きで、『あとがき』にネタバレは乗せない、『あとがき』がメインとさえ言い張ったかと思えば『あとがき』で10~30ページ以上描いてしまった事さえある変り種だ。ギネス級?笑
彼もまた駄文に魅入られてしまっているのかも知れない・・・。
エッセイとかで『あとがき』というタイトルで書くのもソロソロじゃないかと睨んでいる。一冊の本まるごと『あとがき』という。
更に『あとがき』に『あとがき』を書くという。
あとがきの前に『まえがき』も書くかも知れない。
多分発売したら私は買います。ファンなら多分買います。
付録に『あとがき』がついてくる徹底振り。
今こうして書いてる分にはギャグですけれど、『本気の本気』でやりかねない所が恐ろしいです。
時雨沢恵一(しぐさわけいいち)という作家の動向を違う意味で私は追っております。笑

多分またメディアミックス企画は上がるだろうし、10周年という節目の時である為に実現が近い気がしてならない。
キノ以外にも新しい本を出してますからね。

黒星紅白さんの絵も雰囲気が出てて好きですからねぇ。
とはいえ、キノの旅は絵ではなく内容で買った一冊なので思い入れもひとしお(=一入)です。
大抵ラノベって絵で買う。漫画と同じ感覚で買うんですよね。
CDで言えばジャケ買いですよ。
ニュアンスが違うと言われましたが、いやいや同じ同じ。デザインの良さで買っちゃうなんて普通ですよ普通。

中身を見ずに買う人も多いのではないでしょうか?
基本的に小説やラノベは立ち読みが可能な場所が多いですからね。
でも、あえて立ち読みしない人も居る訳です。
漫画が立ち読み可能だったら比較的短時間で立ち読みで済ませてしまえちゃいますからねぇ──故にビニールで覆われて読めないようにされてしまっている。
小説の場合は、最初の1ページ~5ページ程度読んで買うか否かを決める。
あらすじ、捻くれた人間はあとがきから読んで面白そうだから買う人も居る。
基本あらすじは背表紙に載っている事が多いのでそちらをチェックする。
キノの旅の14巻には背表紙は絵しか無いですが^^

漫画と間違えて購入しちゃった!なんて人もたまに居るそうですが、それは余りにうっかりし過ぎでしょう。^^;
最近は吟味しやすいように表紙一発絵で勝負している物が多いですからねぇ。
面白そう──と買ってみると、固有名詞だらけで覚えるのが一苦労なのもある。

物凄い極端な例でこういったのがあった。
○○国の○○市の番地○ー○○○通りに住む、市長○△□の娘の○□○が○□の儀(儀式名)に参列し、○□△王子と謁見する。
たった数行の内容に固有名詞多すぎて、訳が分からなくなる。
ゴチャゴチャっとした内容のは正直数ページで読みたくなくなります。^^;

同じゴチャゴチャでも『されど罪人は竜と踊る』ぐらい完成度の高いゴチャゴチャ感は欲しい所だ。
一発であのキャラはヤバイ、変、曲者と分かるぐらいにキャラが立っていれば、結構大勢出てきても平気なものだなと思ったものだ。
この作品は個人的に最高クラスの『活字』が生きているライトノベルだろうな。超グロ注意であり、エロさも、ギャグセンスも超絶戦闘を一切ノーカットで、書き込み量なら分野は違うが漫画「バスタード」と同等以上。
そ、そこまでやっちゃうの?っていうぐらい妥協してくれません。
完全にもうダメだ・・・って状況と、読者をどん底に叩き落とすストーリー展開は必見の価値ありだ。
多分アニメ化したらR-18もしくはR-21間違いないです。笑
本気で現実と小説の区別が付かない人は読んじゃうとヤバイです。
ライトノベルと銘打っているが、実の所『通』にはダークノベルで通っている作品でもある。が、面白さは世間で映画化されている作品並に哲学的で人間的でおぞましさから青春群像まで全てが詰まっている。
ガガガ文庫版が最新で、スニーカー版のリメイクでもある。
一応私はどちらも購入してあり、内容も幾分かガガガ文庫用に書き足した部分などがある。
『されど罪人は竜と踊る-Assault-』だけは現在スニーカー版でしか出ていないので注意が必要だ。
キャラクター達の重大な過去の描写などもあり、ファンなら必携だ。
戦闘だけじゃない日々の馬鹿馬鹿しい彼等の日常も描いていて、漫画なら珍しくないが、小説で笑いを堪えられなかった初めての作品だ。爆笑必至である。
デメリット。流石にコレを読むと目が肥えてしまって、並の戦闘描写に反応・感動出来なくなる可能性があります。お勧めしておきますよ。


で、話は戻して。


キノの旅で言えば、キャラクターを覚えたり国の名前を覚えたりといった煩わしい点が殆ど無いと言える。
あたり前の事を極端に実践している国だとか、普遍的な物をテーマにしている為に前知識が殆ど必要無い。
普通に義務教育で学んだ社会や公民と、政治の仕組みなどをちょこっと知っていれば尚良いでしょう。
各話の最初で分かり難い用語は短い単語ひとつで説明されているし、それ以降は難しい内容も出てこない。
ストーリー。つまり内容だけに集中出来るので非常に分かり易い。
恐らく初めて読むラノベとしては最高に読み易いと思います。
しかも読み終わるのも速いと思います。
260~300ページ程度と他のラノベと同じぐらいですが、1時間で半分以上もしくはあとがきに到達してしまえるかも知れない。
難しい言葉を使わないせいもあるだろうし、とても親切な作りである。
絵の雰囲気とは違ってちょっぴりグロ注意だったりするので注意が必要であるが、1冊500円程度だしお試し価格としても良いだろう。


流石に駄文としての長さが超過してきているのでココらへんで区切りたいと思います。ここまで、読み終えるまで30分ほど掛かりましたか?
掛かったのなら、しっかりと読んでくれた証拠ですね。誠に有難う御座います^^

5分で読めた!って人はスクロールする指にご苦労様有難うと伝えます。
ええ、指に対して。

精魂込めた駄文を楽しんで頂けたのなら幸いです。
要約すると、500文字にも満たない内容をここまで膨らませるのも勇者カカキキクオリティです。
楽天じゃたったの1記事1万文字しか書けませんからねぇ。
ウサ晴らしならやはりソネットブログが良いかも知れません。
やや重い以外では、記事作成中に煩わしい宣伝や読み込みが無いですしシンプルで優れたブログ機能を持っている。^^

危なくまた脱線する所でしたよ。
ではでは、またお会いしましょう。^^;


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ここから『あとがき』が始まったりしない。


『文字数カウント』サイトで調べて見た。
URL:http://www1.odn.ne.jp/megukuma/count.htm


■文字数(スペース込み)■文字数(スペース無視)■行数■段落数■原稿用紙換算(400x?枚)
10588105593345327



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萌え~~~~!! 何だか流行ってるみたいなので私も流行に乗ってみた^^ [駄文日記]




[ぴかぴか(新しい)]勇者カカキキ的紹介>
楽天ブログではコメントなどは解禁しているワケですが、その他のブログでは限られたページ。
もしくは完全にシャットダウンが多い勇者カカキキです。
基本的な紹介パターンは「勇者カカキキ的紹介」と銘打っているのが主です。^^
元々はソネットブログは小説ブログとしてスタートしたのですが、時代の移り代わりと共に色んな趣味・カルチャー的な物の紹介をし始めました。
ニコニコ生放送とかするぐらいだから、コミュニケーションが嫌いというワケではないんですよ?
で、何かコミュニケーション方法は無いかな~と思ったら「アンケート」という方法があるではないか^^
人気ブログランキングで提供しているアンケートですね。
豚汁を何て読むか~などなど質問しているアレです。私はとんじる、ぶたじるどちらも読むけど、とんじるを選びましたね。
「おお!?これって面白いコミュニケーションツールやないか!?」
と、道産子が何故かエセ関西弁を発する程に思ったワケです。

いつもアイテムばかり紹介していると思ったら今回はアンケートの紹介です。
テーマは趣味・カルチャーですもの。これを紹介しない手はないでしょう?
質問内容は簡単に言えば「こだわり」を持つ部分は何処かという事です。
宜しければ上記アンケートに答えてみて下さいな。

─ ここから無軌道になります ─

これ、物によっては様々な答えになると思うんですよね。
例えばグルメ系なら私は質も重要視する傍ら、とにかく量が欲しい。
東京のラーメン屋のどんぶりがちっちゃいしあれじゃ中学生ぐらいまでしか満足しないんじゃないか?と常々思っているので。主食で喰うにしても量的にはおやつの域を出ないと10年前ぐらいから思ってました。
酷い時は2杯おかわりして、「大丈夫か?」的な目で見られる事もありました。
まぁ、俗に言う胃下垂らしい?痩せの大食いと良く言われたものです。賞金を貰う大会で入賞しなけりゃ自慢にもなりゃしない。
8月の大食い選手権の予選に本気で出ようかと思ってた。笑
でも、駄目だ予選でありゃ絶対敗退してただろうな。前準備無しで挑めば・・・だが。
胃を拡げる為に一週間前ぐらいから腹一杯飯を食うことでキャパシティを拡げたりしないといけないからだ。
前日や前前日「何も喰わず」で挑んだ人間は間違いなく予選敗退確実です。胃が縮小しちゃうんで。
下準備を怠って、ただの大喰らいが勝とうと思うのは無理ですね。
でもね、8月大会出場者が凄すぎてありゃ勝てんわ~太刀打ち出来ん^^;
20~杯とか確か食ってなかったか?
実際あの大会で使われたどんぶりの飯量がどの位かが気になる。
吉野家の特盛り2つ並盛り1つ(温卵3個)頼んで、最後のどんぶりを食べた時に口が疲れて止めた程度だからなぁ。咀嚼する為の筋肉も鍛えないと駄目なのかも知れない。^^;
それより吉野屋で2000円以上使いたくないです。
それなら行き着けの焼肉喰い放題なりしゃぶしゃぶ喰い放題に行きたいわ~!ってなります。

そうそう、しゃぶしゃぶや焼肉喰い放題って食べた直後は腹一杯になるんですけど、家に帰るとお腹空きませんか?
友人と食べに行くと、友人も同じような状態だったらしい。
「直後」はもう喰えないになるんだけど、タッパがあれば持ち帰ってきたいぐらい腹が減ります。^^;
暫く肉を見たくない~ってなるんだけど次の日には食べたくなるという。
しゃぶしゃぶは分かる。あれって案外ヘルシーだから。
焼肉でも同じ現象になるのが分からん。何なんでしょうかね?
こっそりタッパに持ち帰りたいけど、出入り禁止にされそうなので怖くて出来ん。笑
でも、同じような感覚になっている人って結構居ると思うんだわ。

「飲み会」は最たる物ではないだろうか?
酒は飲むけど、余り物を食べた気がしない。
さっきから食べる物の話ばかりだが、食に関して貪欲だから仕方が無い。
すきっ腹で酒を飲んで泥酔した事があるからねぇ。
本気で酔ったのは2回。吐いたら酔ったとカウントしている。笑
つまり2度吐いた。ひでぇ。笑
その全部がすきっ腹にアルコールを胃に落とした為の大失態だった。
なので、只管最初に喰いまくって腹に物を落としてから飲む。
で、ある程度飲んでおくと「酔った振り」で面倒な絡みをシャットアウト出来るので有効に使わせて頂いております。
友人間では絶対やりませんが、会社・同僚関係では使えます。
このスキルを使わないと面倒な人間が居るんですよね~。
回避スキル概要。
1、少し揺れ始める。頭を激しく揺らすとマジで酒が回るので酒に弱い人間は注意。
2、弄られキャラクターではない事。弄られキャラは酔ってようが酔ってまいが絡まれる運命です諦めなさい。普段シラフで弄られる側と、酒の席で弄られるキャラは違うようです。
3、空き瓶を手元周囲に置いてあると、大分飲んでるなと錯覚される。飲んでない人間に標的が移る。
4、腹も一杯になったら壁にもたれ掛かって狸寝入り。弄られキャラはここで悪戯されたりします。獅子の眠りを妨げるものぞと威嚇しながら狸寝入りです。
5、イベントには参加します。現金な性格なので。笑
必ずしもこれで回避できるワケではないと思うが、百戦錬磨的に回避しているぞ。
どちらにしろ、かなり酒は飲めないと駄目だと思う。
「一気」は必ず一回はさせられるだろうし、連続3~4回やっても大丈夫なぐらいには備えておきたい。
ビール瓶一気はきつかったが可能、ただしピッチャーは無理無理無理無理無理ぃ~~~!!
あの量は無理だ。10人分はカバー出来る、あれ何リットルやねん^^;
私の腹と同じぐらいの大きさだったぞ。並のダンベルより重いわ多いわ途中で負けた^^;
ZUN氏なら普通に飲んでる量かもだが、あれは一気するもんじゃないぜ。炭酸が地味にきっつい。
そもそもビールの味が余り美味しいとは思わん(最近は大分慣れてきたが)。
普段はチューハイばかりだ。
大手居酒屋チェーン店の某ワタミで飲んだのだが、レッドブル+カクテルあれはスゴイらしいね。酔いがめちゃくちゃ早いらしい。
初めて飲んだ時はとある理由から全く気持ちよく酔う事が出来なかったが、あれはメッチャ美味しいです。
レッドブルをその時初めて飲んだんだけど、昔粉で作るジュースに似た駄菓子的な味で単体としてはあんなに美味しい物とは知らなかった。あの缶のイメージから、もっとドロっと濁ってるのを想像していたんだが、リポビタンDみたいな感じで透き通って喉越しも悪くない物でした。
カクテルに混ぜるというシンプルな物だ。
これが、凄く美味しいのなんのって。あれは革新的でしたね。
自宅でもレッドブル割とかが簡単に出来るんで試して欲しい。けど、急性アルコール中毒にならんように程々にしておいてくれ。
お子様向けの味だけど20才未満は飲むなよ~。

と、ダラダラと書き綴っていましたが一端ココで締めとしましょう。
楽天ブログの方では割とこんな感じで駄文をツラツラと楽天ブログでの限界1万文字近くまで書いたりしています。
延々と話続ける事が出来るぐらいネタが溢れているんですよ。
そう、私は自称”駄文使い”ですから。
私以上に駄文を使いこなしている生物は居ないと豪語し自惚れております。
宜しければ、こんな私をソネブロでもご愛顧頂ければ幸いです。




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